MIYAの思い出。の巻

『MIYA』→『宮沢和史』

昨日の

SMAP×SMAP

『MIYA』

が出ていた。

『MIYA』

というのは

宮迫ではない。

宮沢和史』(THE BOOM

の事だ。

昔、僕らは彼のことを

『MIYA』

と呼んでいたのだ。

作詞・作曲のクレジットにもちゃんと

『MIYA』

と明記されている。


先日の『スマスマ』

では、

現在、世界でヒット中との事で

島唄

を歌っていた。

それを聴いて、

初めてこの曲を聴いた時の事をふと思い出した。


中学生の頃に(もう十何年も前の話。)

THE BOOM

の大ファンになり、

那覇市民会館に友人タカシと観にいったりしていた。


その頃はまだ

『MIYA』

琉球民謡に傾倒しておらず、

スカバンドだった。

(※スカ=レゲエの早いリズムの音楽。)


そんなノリの良いバンドが好きだったのに、

何故か突然、

『MIYA』

がいきなり

島唄

を歌いだした。

当時は今のように

琉球音階を使った楽曲はメジャーに出てはおらず、

僕ら若い世代のウチナーンチュは

そういう琉球音階を使ったものは

ダサいと決め付けていて、

当時は

『MIYA』、やめてくれたらいいのになぁ

なんて心底思っていた。

しかし、

あっという間にこの

島唄

は日本全国に広まってしまい、

スタンダードになってしまった。

いやらしいもので、

売れてしまうと

飛びついてしまう若い頃の俺。

すぐに好きになっていった。


高校生になってバンドを組んでからも

島唄

を演奏したこともあった。


それにしても、

初めて

『MIYA』

をライブで観たときは鳥肌が立って、

嬉しくて、涙がダーっと出てきた瞬間を今も鮮明に覚えている。

あの頃、ライブ会場で買った

THE BOOM』のグッズ類

(ハーモニカやステッカー)はまだ大事に保管している。



それから10数年経ち、

当時ほどお熱は上げていないが、

『MIYA』は

俺の中の

『ヒーロー』

の一人には間違いない。


たまにitunesから流れてくる

『MIYA』

の歌声を聴いて、

ウチの嫁さんが

『MIYA』

の歌い方のあのクセを強調して歌うので

それからはカラオケであまり歌わなくなった。


昔、『島唄』がヒットしている時、

ウチナーンチュは内地でよく歌わされたに違いない。

もちろん俺もその内の一人だ。


嫁さんと付き合い始めた時に

THE BOOM

の名曲

『中央線』

をギターで弾いていたら、

『それ、誰の曲?』

と聞かれ、

『俺の曲』

とウソをつきました。

ごめんなさい。



今日の一曲↓

『これが私の優しさです』/bird/『MINDTRAVEL』に収録。

今日はあえて

THE BOOM

の曲ではありません。

なんと俺のヒーローの二人

『MIYA(THE BOOM)』と

大沢伸一モンド・グロッソ)』が

『bird』のこの曲に絡んでいます。

この曲が収録されている

『MINDTRAVEL』は、

大沢伸一プロデュースでバードと残した最後の作品ですが、

(次回作からは別の人がプロデュースしています。)

この曲の冒頭に

『MIYA』

が詩人・谷川俊太郎の「これが私の優しさです」を朗読をしています。

気になった方は一度聴いて見てはいかがでしょうか?