ミーツーの四十九日に行く。の巻

これが当日配られた電録通信。

ミーツーが亡くなってから

早くも四十九日ですか。



過去ログ参照↓
『初めての友の死について。の巻』
http://d.hatena.ne.jp/toka3000/20060224


『朝刊を見てやっと涙が出た。の巻』
http://d.hatena.ne.jp/toka3000/20060226



あの通夜の帰り道、

小雨の中をトボトボと歩いて帰った日のことを

よく覚えています。


それにしても、

あれから俺は何か世の中に役に立つことができただろうか?


ミーツーの件で

命の尊さ、はかなさを

身近に感じることを

再認識したのは事実。


命をより大切に感じるようになり、

こと車・バイクの運転の仕方に関しては

随分と変わったと思う。


まぁ、

その間には個人的に

フリマでの事件があったこともあるが。



過去ログ参照↓

『フリマしてたら車がドーン!の巻』

http://d.hatena.ne.jp/toka3000/20060319




もう日付は変わってしまったが、

数時間前の昨夜、

ミーツーの実家で行われた

四十九日では、

ミーツーの奥さんやご両親は

通夜にお会いしたときと比べると

幾分か落ち着いており、

少しは話ができて良かった。


俺の仕事がちょいと遅くまでかかってしまい、

ミーツーの実家に着いたのは22時を回っていたが、

それでもまだたくさんの親族が見守っていた。


ミーツーがデザインしたという

Tシャツが数枚壁に飾られていて、

また一つ、

俺の知らなかった

ミーツーの一面を垣間見る事ができたり、

5人もお姉さんがいる事を初めて知り、

またその内のお姉さんの二人とゆっくりとお話ができた。


お姉さんからミーツーの

小さい頃の思い出話が聞けてよかったな。

(こういう場では、

故人の知られざる一面を聞くことができるからいいよね。)


香典返しが入った袋には、

ミーツーの友人(新聞社勤務らしい。とお姉さんが言っていた)

が制作したという

『電録通信』

というA3サイズの号外風の新聞が

入っていた。

(本日の画像。)


そこには

ミーツーの訃報を聞く直前の話から、

通夜でのこと細かい心情がうまく文章にまとめられており、

四十九日の場で読む文としては

かなり泣けるものだった。


告別式では1300人が参列して、

車が道まで溢れ、

環状線が大渋滞したことや、

焼香中ではBGMにガバ(かなり激しめな音楽。)や、

あややの曲を流した事に対して

一部苦情が出ていた事なども

書かれており、

泣かせてくれたり、

時には少し笑わせてくれたりと

かなり良い出来になっている。


いいモンもらった。

大事に取っておこう。


それにしても、

四十九日に

沖縄そばが出てきたのにはかなりびっくりした。

さすが、

食堂をやっているだけあって

そば好きの俺も納得の味でした。



そのそばが出された時、

親戚のおじさんが

『100円でいいよ。でも、今日はミーツーが払うって。』

というひと言で、ぱっと和んだ。


そうだ。

こんな楽しいひと言で和むような空間こそ、

ミーツーが望んでいるのかもしれないと思った。




今日の一曲↓

『ボトル二本とチョコレート』
/BEGIN
/『Music From B.Y.G』
に収録。

普通に聴いていたら、
元気になる歌なのだが、
よく内容を聴くと
通夜に友達と
『明日も俺たち頑張っていこうな』
と元気づけあっている曲。

まさかこんなに早く、
この歌の気持ちが分かるとは思わなかったな。